2021年6月27日日曜日

主にある共同体(2021年6月27日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 402番 いともとうとき 奏楽・長井志保乃さん


「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。」

今日の朗読箇所は、新約聖書の使徒言行録4章32節から37節までです。この箇所に描かれているのは、イエス・キリストの復活と昇天、そして聖霊降臨の出来事が起こってまもなくの頃の初代のキリスト教会の姿です。

よく似た内容の記事が、2章43節から47節までにもあります。そちらのほうから先に読むと、「信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(2章44~45節)とあります。今日の箇所にも「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」(4章32節)とあります。

さらに「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」(4章34~37節)とあります。

これで分かるのは、今日の箇所に描かれている時期の初代のキリスト教会の人々は、自分たちの持ち物や財産を共有し、ひとりも貧しい人がいないように分配していたということです。初代のキリスト者人口がどれくらいだったかについては、4章4節に「男の数が五千人ほどになった」とあるのを信頼すれば、女性と子どもを含めて1万人ほどではないかと想像できます。それだけの人々が自分の持ち物や財産を売ってお金に換え、全部集めて使徒の足もとに置いたという話が事実であれば、それなりの金額にはなっただろうとも想像できます。

先ほどから「信頼するとしたら」とか「事実であれば」と、やや引っかかる言い方をしているのは、使徒言行録が描く初代教会の姿は完全な作り話であるなどと言いたいからではありません。他の箇所についてはかなり批判的な解釈をしている註解書を見ても、今日の箇所に記されていることはおそらく事実であろうと記しています。

財産共有について、他に例がなかったわけでもありません。古代ギリシアの哲学者プラトンやピタゴラスといった人々が財産共有の理想を提唱していたとされます。また西暦1世紀のユダヤ教の中に財産の共有を義務づける教えを持つグループがあったと言われます。初代教会の人々が実際に財産共有をしていたとしても、人類史上初めての実践であるとは言えません。

しかし、他の実践例と初代教会のあり方との違いがあることは明らかにしておくべきでしょう。そのことを考える際に重要な点は、初代教会の中心にいたのは、十字架につけられる前のイエスさまとの生きた交わりの中でイエスさまご自身から直接教えを受けた人々だったということです。ペトロにせよヤコブにせよヨハネにせよ。それが意味することは、今日の箇所が描く初代教会の姿は、イエスさまの教えとは無関係の、全く別の原理によるものではないということです。

よく知られているのは、まだ漁師であったペトロとその兄弟アンデレにイエスさまが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われたとき、「2人はすぐに網を捨てて従った」出来事です。同じく漁師だったヤコブとその兄弟ヨハネも「舟と父親とを残して」イエスに従いました(マタイ4章18~22節など)。

また、イエスさまは弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」とおっしゃいました(マタイ16章24~25節など)。

しかし、実際の弟子たちはどうだったかといえば。マルコ1章29節に「シモンとアンデレの家」と記されています。「シモン」はペトロのことです。つまり、ペトロはイエスさまの弟子になった後も、カファルナウムに自分の家を持っていました。その家にペトロの家族が住んでいました。そして、その家をイエスさまが宣教拠点とされ、弟子たちと一緒に遠くにお出かけになっても、再びその家に帰ってこられる様子が描かれています。

このことは、ペトロがイエスさまのために自分の家を差し出した、と考えることができるかもしれませんが、それがペトロの持ち家であることには変わりないので、その意味では、すべてをお金に換えて財産共有をしていたとは言えないでしょう。もしそうだとすれば、初代教会の最高指導者となった後のペトロが、自分がしていなかったことを他のキリスト者にさせるというのは、矛盾以外の何ものでもないでしょう。

しかし、いま申し上げていることの趣旨は、聖書がいかに矛盾に満ちた書物であるかを明らかにしたいというようなことでは全くありません。そうでなく、今日開いている使徒言行録が描く初代教会が実行していた「財産共有」の意味は何であるかを厳密にとらえる必要があるだろうと申し上げたいだけです。そしてそれは、イエスさまご自身の教えと行いに基づくものでなければならない、ということです。

そして、その場合、ペトロはたしかに「すべてを捨てて」イエスさまに従いながら自分の家を売らずに持ったままであり、その家をイエスさまが宣教拠点にしておられたことは、重要な事実です。そうすることが聖霊降臨後の初代教会においては全く放棄され、変質してしまったわけではないと考えることが、もちろん許されるのです。

もうひとつ言わなくてはならないのは、初代教会の「財産共有」は短い期間だけだったということです。問題が発生したりもして、別の形に変わっていきます。それを聖書は、教会の堕落として描いてはいません。

その時々の状況に対応するために、教会のあり方を変化させていったのです。なにがなんでも財産共有をしなければならないというような執着はありません。義務でも命令でもありません。すべてはあくまでも自発的なものであり、問題解決のためのひとつの手段だったにすぎません。

初代教会にとって大事な問題は、「すべての物を共有にし、財産や持ち物を売ること」自体ではなく、「心も思いも一つにすること」(32節)と「一人も貧しい人がいないこと」(34節)でした。別の方法でそれが実現するならば、やり方を変えることに何の問題もなかったと考えるべきです。そして最も大事なことは「大いなる力をもって主イエスの復活を証しすること」(33節)でした。

このことを私が強調するのは、洗礼を受けて教会員になるためには自分の全財産をお金にして、すべてを教会に献金しなければならないのだろうか、そのようなとんでもないことをキリスト教の人々は教えているのかというような、ありもしない誤解を避けたいからです。全く違います。初代教会においてすら、義務でも命令でもありませんでした。

現代の教会は、なおさらです。大丈夫ですので、自分の家と財産をしっかり守ってください。よろしくお願いいたします。

(2021年6月27日)

2021年6月20日日曜日

生涯のささげもの(2021年6月20日 主日礼拝) 

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 515番 きみのたまものと 奏楽・長井志保乃さん

【付録】湘南の浜辺から江ノ島を望む(2021年6月18日)

「生涯のささげもの」

コリントの信徒への手紙二8章1~15節

関口 康

「あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。」

今日の朗読箇所は、使徒パウロのコリントの信徒への手紙二8章1節から15節までです。この箇所の趣旨は「献金のすすめ」です。

ただし、そのことがはっきり分かるようには書かれていません。回りくどい書き方だと言うのは言い過ぎです。しかし、パウロが言いにくいことを言いにくそうに書いている様子が伺えます。それはたとえば、この箇所のどこにも「お金」という言葉が用いられていないことから感じます。その代わりに用いられているのは「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕」(4節)です。

ここで「聖なる者たち」の意味は、キリスト者であり、教会です。「慈善の業と奉仕」と聞くと今のわたしたちは、教会バザーのようなことをすぐ連想するでしょう。しかし、ここで言われているのは、パザーのようなことに限りません。

要するにここでパウロが求めているのは、わたしたちが自分の働きで得た収入のすべてを自分のために用いるのでなく、その一部を教会の働きのために献げることです。そのことを総称して「慈善の業と奉仕」と書いていますが、「お金」という言葉を用いるのを避けたがっているようにも見えます。

今日の箇所の内容は、大別すると以下の3つの部分に分けることができます。

(1)マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて(1~7節)
(2)慈善の業と奉仕は、命令ではなく、自発的に行う(8~12節)
(3)慈善の業と奉仕は、全体の釣り合いをとるために行う(13~15節)

第1の部分である「マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて」の趣旨は例示です。「諸教会」と書かれているのは、単独の教会でなく複数の教会を指しています。今のわたしたちなら「教区」や「支区・分区」などの教会的な行政区を表現する名称を付けるであろう区域内の複数の教会を指していると言えます。

しかし、この当時に「マケドニア教区」というような名称が用いられるなどして明確な組織化がなされていたとは思えません。もう少し緩やかな仕方で、しかし実際に行われた「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕」を例として挙げています。

そして印象深い言葉が2節に記されています。「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった」(2節)。

「極度の貧しさがあふれ出る」というのがどのような状態を指すかは、献金をしてきたわたしたちは分かります。「豊かさ」ならば「あふれ出る」が当てはまりそうだが、どうすれば「貧しさ」があふれ出るのか教えてほしいと抗議口調で言いたい気持ちが起こらないわけではありませんが、実際に「貧しさ」は「あふれ出る」ものです。ただしこれは理屈では説明できないことです。実際に体験してみるしかありません、としか申し上げようがありません。不思議な、不思議な話です。

しかし、ひとつだけ説明できそうなことがあります。それは、ここで言われている「貧しさ」と、その対義語として「豊かさ」と言われていることは、保有しているお金の分量だけを指していないということです。それがはっきり分かるのが7節の言葉です。「あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい」(7節)。

これが、パウロが考える「豊かさ」の定義です。信仰、言葉、知識、熱心、そして愛されることにおいて豊かであることが真の「豊かさ」であるというのです。この中に「お金」がありません。そして「この慈善の業」は、具体的には教会の活動を支える献金を指しています。

つまりそれは、お金という点では自分の収入ではなく支出のほうなので、「慈善の業において豊かな者になる」は「豊かに献げる者になる」と言っているのと同じです。それが「極度の貧しさがあふれ出る」状態を示していると言えるでしょう。

このあたりで、現在の私自身の話をすると、まるで自慢話をしているように響いてしまうかもしれません。多方面に差しさわりが出るので、私の過去の経歴について詳しいことを明かすわけには行きません。

しかし皆さんはご存じのとおり、まだわずか3年前の2018年4月に昭島教会にたどりついたときの私は、パウロがコリントにたどりついたときの心境として「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(コリントの信徒への手紙一2章4節)と書いているのと同じ状態でした。その前年の2017年度の1年間、私は日本キリスト教団の無任所教師でした。

私が高校からストレートで東京神学大学に入学し、卒業と同時に日本キリスト教団の補教師になったのが1990年4月です。それ以来26年間、教会の牧師として働きましたが、27年目に無職を体験しました。牧師28年目に昭島教会に副牧師としてお招きいただき、アマゾンの八王子倉庫で週30時間アルバイトをしながら、石川献之助先生をお助けすることを始めました。

その1年後(2年前)に明治学院中学校東村山高等学校(東京都東村山市)で聖書科非常勤講師の職を得て、アマゾンをやめました。さらに翌年(昨年)、アレセイア湘南中学校高等学校(神奈川県茅ヶ崎市)でも非常勤講師になり、今年から上記2校に加えて平和学園小学校(同上所)でも教えています。

つまり今の私は、昭島教会の牧師と、2つの中高一貫校と1つの小学校で聖書科の非常勤講師であるという状態です。「極度の貧しさがあふれ出る」とはこういうことを言うのかもしれません。教会の皆さんを傷つける意図などは全くありませんが、今の私が金銭的に豊かかどうかは皆さんがご存じです。

また、信仰、言葉、知識については、豊かでないと務まらないはずの職責にありながら、覚束ないところが多すぎて、皆さんを不安にするばかりで申し訳なく思っています。

しかし、ひとつだけは自信があります。パウロの言葉を借りれば「わたしたちから受ける愛」(7節)において私は豊かです。「愛される豊かさ」を、今の私は教会においても学校においても味わわせていただいています。「豊かさ」はお金だけの問題ではないということを実感しています。

覚束ない働きで良いとは思いません。「教会も学校も」とか「複数の学校で」と分散すると意識も働きも散漫になります。私個人の願いは、いずれ教会の働きに集中できるようになることです。

パウロの言葉を借りて、皆さんに献金のお願いをしているように響いてしまっているとすれば申し訳ないことです。牧師である者にとって「献金のお願い」は「言いにくいこと」に属します。だから、自分で言わず役員さんに言ってもらう牧師が多いです。献金の中に牧師自身が受け取るものが含まれているからです。

しかし、すべては神と教会のためであるということを、忘れずにいたいと願う者です。そして、これから新たに牧師になる人が起こされることを祈る者です。

(2021年6月20日 主日礼拝)

2021年6月13日日曜日

世の光としての使命(2021年6月13日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232番地13)

「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」

今日の朗読箇所は、使徒パウロのフィリピの信徒への手紙2章12節から18節までです。新共同訳聖書で「共に喜ぶ」と小見出しが付けられている段落です。12節の初めに「だから」と記されているのは、この箇所までに書かれたすべての内容を受けています。パウロがこの箇所までに書いていることには辛辣な内容が含まれています。

この手紙をパウロは「監禁されている」状態、すなわち獄中から書き送っていることを彼自身が明らかにしています(1章7節、1章13節など)。辛辣な内容は、そのことに関係しています。パウロが監禁されている状態にある中、「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいる」(1章10節)というのです。

それはどういうことか。「一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです」(1章15~17節)というのです。

パウロが言おうとしていることは、なんとなく分かります。キリストを宣べ伝えることを競争心や利己心や名誉心などで考えている人たちがいる、ということです。

私が説教した日の礼拝に何人集まったか。何人の人が洗礼を受けることを決心したか。自分が牧師をしている教会に何人の信徒が所属しているか。そのようなことを比較と競争で考え、あの人より私は優れているとか劣っている、など言い始める。他の教会や他の伝道者と協力関係を結ばず、蹴落とす対象と見る。

パウロは今、獄中で監禁されていて身動きがとれない。これはチャンスであると競争心をむき出しにして元気づいた人たちがいるということでしょう。それに対してパウロは大らかなことを書いています。「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが宣べ伝えられているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」(1章18節)。

たとえば今の日本で「不純な動機で洗礼を受けました」とか「不純な動機で牧師になりました」という人が何人いるかは私には分かりませんし、それが何の得になるのかはもっと分かりません。しかし、たとえそうであっても問題ないと、もしパウロならそう答えるかもしれないと考えることができる根拠が、ここにあります。

わたしたちにとっても決して他人事ではないでしょう。信仰生活や、あるいは牧師生活が長くなればなるほど、最初は純粋だったかもしれない動機の中に、いつの間にか不純物が入り込むことがありえます。「みなさんはどうですか」と皆さんにお尋ねしないでおきます。その代わりに、私も自分の話をしないでおきます。「お互いさま」ということにしておきましょう。

パウロは、たとえ動機は不純でも、とにかくキリストが告げ知らされているのだから問題ないとしたうえで、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(1章27節)と書いています。「キリストの福音にふさわしい生活」は、「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦うこと」(1章27節)を指しています。

この「一つの霊によって」「心を合わせて」ということと、信仰生活と福音宣教の動機に競争心や利己心や名誉心が入り込むこととは矛盾しているかもしれません。しかし、ここから先は大人と子どもの違いだと申し上げておきます。

たとえ心の中に別の動機があるとしても、すべてをさらけ出さないでいるのが、大人としての態度ではないでしょうか。そしてそのことと、今日の箇所の最初に記されている「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(14節)がつながっているでしょう。

「不平や理屈を言わずに行うこと」の勧めは軍隊式であるとお感じになる方がおられるかもしれませんが、必ずそこに結び付けなくてもよいでしょう。黙って従う。それは、あらゆることに反抗心をむき出しにして、現場を混乱に陥れ、そこで協力して共に働く人々の働きや目標達成を妨害することを意味することの反対を指しているとすれば、どうでしょう。

言いたいことを我慢することには苦痛が伴います。言うべきことを押し黙ることは無責任の面が生じます。しかし、だからといって、言いたいことの最初から最後まで言わなければ気が済まないというのは子どもの状態でしょう。もう少し成長する必要があるでしょう。

その続きに書かれている「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(15~16節)は、成熟した人の姿を指していると言えるでしょう。

また同じことを申します。その「世にあって星のように輝く、非の打ちどころのない神の子」になることと、動機に不純なものが入り込んでいることとは矛盾しているかもしれません。神はわたしたちの心の中のすべてをご存じであるというのも、そのとおりです。しかし、自分の心の中にあることをすべて外へとさらけ出すことが、その人の心の純粋さを表すかといえば、そうではありません。そこは区別すべきでしょう。

パウロが推奨しているのは、「キリストを模範とすること」です。そのことが、今日の朗読箇所の直前の2章1節から11節までに記されています。この箇所の中で私がいつも思い起こし、自分の戒めとしているのは、3節から5節の途中までに記されていることです。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」。

特にこの中の「互いに相手を自分よりも優れた者と考える」というのは、順位や序列を一切考えずに、要するに自分は誰よりも下であると考えること以外の何を意味するでしょうか。

「私はあの人よりは下だが、あの人よりは上である」と常に考え続ける状態は、苦しいです。相対評価と言います。イエス・キリストはそうではないと、パウロは信じ、またそのように初代教会の人々は信じました。6節から8節までに記されているのは、初代教会の信仰告白です。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(6~8節)。

イエス・キリストの「謙遜」が、わたしたちの模範です。神であられるキリストが、その立場をすべて捨て、すべての人の僕になられました。そのキリストにならって、わたしたちもすべての人の僕であるべきです。

これは教会の中だけの話ではありません。「世にあって星のように輝く」すなわち「世の光」として生きていこうとする、わたしたちの人生の目標です。

(2021年6月13日)

2021年6月6日日曜日

悔い改めの使信(2021年6月6日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 343番 聖霊よ、降りて 奏楽・長井志保乃さん


「悔い改めの使信」

使徒言行録17章22~34節

関口 康

「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」

今日の聖書の箇所に登場するのは使徒パウロです。パウロは生涯で3回の伝道旅行を行ったことが知られています。今日の箇所に描かれているギリシアの首都アテネでパウロが伝道したのは、第2回伝道旅行のときです。

ギリシアにとってアテネは古代から現代に至るまで最大都市であり、文化や芸術や学問の中心地であり続けてきました。そのアテネにパウロが行きました。

パウロがアテネに人生の中で何度行ったことがあるかは分かりません。しかし、少なくとも彼がユダヤ教徒からキリスト教徒へと改宗した後にアテネを訪ねたのは、このときが初めてだったのではないかと思えてなりません。

なぜそう思うのか。今日の箇所にはっきり書かれているとおり、アテネの至るところに偶像があるのを見て「憤慨した」(16節)と証言されているからです。

パウロに限らず、ある人が過去に一度も体験したことがないことを新しく始めるとか、いまだかつて行ったことがない場所に初めて行ったときに、その人が「憤慨する」としたら、明らかに違和感の表明でしょうし、もっと強く言えば「居たたまれない」「苦痛でたまらない」というような感情を抱いたことを意味するでしょう。

しかもここで、アテネでパウロが抱いた「憤慨」の理由が「この町の至るところに偶像がある」のを見たからであるとはっきり書かれていることから分かるのは、それは決して大げさな意味ではなく、一方の「ヘレニズム」と歴史家たちが名付けてきた古代ギリシア文明において培われてきた宗教性と、他方のかつてはユダヤ教徒だったけれどもキリスト教徒へと改宗したパウロが、いずれにせよ「広義のヘブライズム」と総称できる、彼自身の宗教的な自覚とが激突したことで発生した否定的な感情であろう、ということです。

つまり、別の言い方をすれば、と言いましても、なるべくすべきでない言い方であり、パウロに失礼な言い方ではあるのですが、それをあえてお許しいただくとすれば、もしパウロがかつてユダヤ教徒だったこともなければその後キリスト教徒にもならなかったとしたら、そこで「憤慨」という感情を抱かなかった可能性が高いと言えるかもしれない、ということです。

しかし、それはとても失礼な言い方です。パウロが自分で言うならともかく他人から言われるようなことではないでしょう。わたしたちが「もしあなたがクリスチャンでなかったら」というような仮定の話をされても困るのと同じです。

それはともかく、パウロはアテネの「偶像」を見て「憤慨」しました。そして、その「憤慨」の感情を抱いたまま、彼はアテネ伝道を開始しました。その調子は明らかにけんか腰です。アテネの人々を言い負かしてやろう、説き伏せてやろう、という姿勢です。17節に「それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた」と記されているとおりです。

私の気になるのは、アテネのユダヤ人ともパウロが論じ合ったことが記されていることです。その論争が「偶像」の問題と直接関係しているかどうかは分かりません。もし関係あるとしたら、パウロはアテネのユダヤ人たちに「なぜ偶像が至る所にあるのに黙っているのか」とけしかけたのではないかと考えてみました。パウロにとって黙っていられない、我慢ならない空気がアテネに蔓延していると感じたゆえの「憤慨」だったのでしょうから。

そのようなパウロの伝道姿勢に対するアテネ市民の反応が、18節あたりに記されています。「『このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか』と言う者もいれば、『彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた」(18節)。そして、その人々がパウロを、おそらくからかい半分の調子で、アレオパゴスへと連れて行きました。

アレオパゴスは、パウロの時代よりずっと前に最高裁判所があった場所です。そこで「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」(19~20節)と人々が言いました。それでパウロが語り始めたのが、22節以下の「アレオパゴス説教」です。内容は単純明快です。

この街の至るところに偶像があります。その中に「知られざる神に」と刻まれている祭壇まであるのを見かけました。知らない神さままで拝んでしまわれるあなたがたは、なんと信仰のあつい人たちでしょう。しかし、あなたがたが知らずに拝んでいる神さまのことを私が教えてあげましょう。それは天地万物を創造された真の神さまです。

その神さまは、人間の手で造った神殿だとか偶像だとかの中にはお住まいになりません。そもそも、人の手で造ったもので神さまの足りないところを補ってあげましょうなどと考える必要がない満ち足りた方です。

ですから、この街の至るところにある偶像も神殿も、有害無益の無用の長物ですよね、というような調子です。

私がパウロをからかっているわけではありません。しかし、このときのパウロの伝道姿勢に、わたしたちが考えなければならないことがあると思います。

私なりの問いは、今のわたしたちがパウロと同じような伝道姿勢を持つべきだろうか、ということです。「腹立ちまぎれのけんか腰伝道」です。それを恭(うやうや)しい言葉のオブラートに包んで一方的に言い放っているだけです。

それを語る人の胸の中はすっきりするかもしれません。しかし、聞く側の人たちは、ある意味での恐怖や戸惑いを感じて逃げ出すか、売られたけんかを買う式に反発したり攻撃したりするか、あるいはひたすら冗談めかしてからかう姿勢をとるかしか無くなる可能性があるでしょう。

いま申し上げているのは、私の空想でもなんでもなく、現実に体験してきたことばかりです。みなさんも大なり小なり同様の体験をしてこられたはずです。

もちろん人によると思います。しかし、私がみなさんに問いたいのは、今日の箇所のパウロのような宣教のあり方によってわたしたちの中の何人の人が救われたでしょうか、ということです。

「あなたの生き方は間違っている。この国の宗教も文化も間違っている。見ているだけで不愉快でたまらない」と言いたそうな教会と牧師の言葉で心を入れ替えた人が、何人いるでしょうか。

このことを問う私は、偶像や宗教の異なる人々に対して曖昧な態度をとるべきだと言いたいのではありません。しかし、今日の箇所のパウロの説教はわたしたちが必ず模範にしなくてはならないという意味で残されていると考える必要はありません。わたしたちならばどのように語るのかを考えるための材料にすることが許されています。

日本伝道が進展しない原因は、教会にあるかもしれません。悔い改めなければならないのは、わたしたち自身かもしれません。

おそらく人は、愛されなければ、悔い改めることはありません。愛されて、受け入れられて、かわいがられて、安心して、初めて人は自分の心を開くでしょう。

(2021年6月6日 主日礼拝)