2021年2月7日日曜日

いやすキリスト(2021年2月7日 各自自宅礼拝)



礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3553・3554号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

マタイによる福音書15章21~31節

牧師 石川献之助

「大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足元に横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。」

主イエスの御生涯について、宣教を通してお話できる事は、私にとって大変光栄に思う他はありません。特に今朝お読みしたマタイによる福音書は、その主イエスの御生涯について語られている共観福音書の冒頭の福音書でありまして、その一節である今週の御言葉は、特に私たちの心を打つ聖書の箇所の一つであります。

おそらく主イエスの晩年その短い公生涯に起こった、しかも主イエスの十字架の死に終わるその直前の出来事と思われます。そこには、娘の病に苦しむカナンの一人の女性の切実な求めに、主が応えられた話が書かれています。

パレスチナでは、主イエスが一人になれる場所は無かったと言えるでしょう。どこへ行っても群衆が主イエスの居場所を探しだしたからであります。そこで主イエスはガリラヤを通り抜けて、北にあるフェニキア人の地、ティルスとシドンに行かれました。

この地では主イエスは一時的であっても、学者、パリサイ人の悪質な反抗と群衆が主イエスによせる危険な期待とをさけることができました。ユダヤ人は主イエスについて異邦人の地までは行かなかったからであります。主イエスはわざわざ静かな場所に退かれました。それは最後の時を前にして、心備えのために、静かな時をもとうとされたのかもしれません。

しかし、この外国の地においても、主イエスは助けを求める人間の切なる願いから逃れることはできませんでした。ここには重病の娘を持つ母親がいました。この異邦人の女性は主イエスが行われる奇跡のことを知っていたに違いありません。そこで彼女は主イエスと弟子たちについてきて真剣に助けを求めました。これに対して主イエスはお答えになりました。

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(24 節)つまり私には関係がない、放っておきなさいということが主イエスの最初の答えでした。しかしこの女性は人々をかきわけて主イエスの前にひれ伏し助けを求めました。主イエスはまた答えて「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」(26節)といい、この女性の求めをもう一度退けられました。

この女性は、主イエスの度々の否定的な答えに、「主よ、ごもっともです。しかし子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27節)と諦めることなく続けます。これに対して主イエスは答えました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」(28節) その時娘の病気はいやされたとあります。

この出来事を通して、私たちも時に直面する祈りの問題について学ぶことが出来るでしょう。私たちの信仰の生活にとって大切な御言葉でありましょう。主イエスがユダヤ人の住むパレスチナの地域外に出られたのは、ただこの一回だけでありました。このことは、やがて福音が全世界に出ていくことを示唆しているという意味で意義深いと思います 。

この出来事に続くこの出来事に続く29節以下の箇所には、主イエスがガリラヤ湖のほとりに戻られてから、大勢の病人を癒された事が記されています。

すなわち主イエスが山に登って座っておられると、「大勢の群衆が、目の見えない人、身体の不自由な人、口のきけない人、その他多くの病人をつれて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人を癒された」(30節)

主イエスがまことの慈しみ深いお方であることを学びます。主イエスの愛の業に学び、私たちも、隣人と共に生きる道を歩んでいきたいと思います。

常に私たちは、様々な困難を抱えています。さらに今は新型コロナウイルスの深刻な影響が長期間となり、医療や福祉の問題はもとより、たくさんの社会問題が発生し心を痛める毎日が続いています。私たちは支え合い祈り合って、この難しい時を乗り越えていかなければならないと強く思います。

先週の自宅礼拝(1月31日)でささげた讃美歌403番(旧453番)は、私にとって思い出深い恵みの讃美歌でした。戦時中ですが、私の父・石川力之助牧師が牧会をしていた深川猿江町教会で当時十数名の出席者と共に礼拝をしていた時の記憶です。

教会から5分とかからない所に、野呂芳男氏が住んでおられました。当時、野呂氏は慶応大学文学部に通い、私は中学生で野呂氏は私にとって兄のような存在でした。野呂氏は後に神学者の道を歩むのですが、彼の信仰理解は私に多くの影響を与えてくれました。礼拝、その他の集会も休むことなく一緒に守ったものです。

その中で一緒にささげた讃美歌の一つが旧旧讃美歌453番でした。私は今でも、歌詞ばかりでなくベースのパートまで思い浮かぶのです。戦時中のことで今から七十数年前のことですが、懐かしく良く覚えています。戦時中、戦後共変わらずに礼拝を変わらずに礼拝を大切に守り通した歴史を思い浮かべます。希望に溢れた讃美歌ですのでここに記します。

(旧453番)

1.きけや愛の言葉を、もろ国人らの 罪とがをのぞく 主の御言葉を 主のみことばを

(繰り返し)

やがて時は来たらん、神のみ光りの あまねく世をてらす あしたは来たらん

2.見よや救いの君を、世のため悩みて あがないの道を 開きしイエスを、ひらきしイエスを

3.うたえ声を合せて あめつちと共に、よろこびにみつる さかえの歌を さかえのうたを

2月となり、今日で昭島教会の自宅礼拝も5回目であります。日曜日に教会で兄弟姉妹とお会いして、共に礼拝をささげ、交わりを深めながら励まし合うことの尊さ、大切さを改めて感じます。主にあって希望を紡ぎ、信仰を持って祈りに助けられ、信仰生活を全うするべく励んで参りましょう。

(2021年2月7日、各自自宅礼拝)