2021年2月28日日曜日

罪と戦うキリスト(2020年2月28日 自宅・礼拝堂礼拝)

【お知らせ】

なおしばらく各自自宅礼拝を継続しますが、本日2月28日(日)より礼拝堂を開放いたします。10時半から礼拝を行います。出席は可能です。役割分担は当分決めません。通常礼拝再開に向けての準備段階です。ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
 

自転車で週報をお届けしています(昭島市つつじが丘付近)

讃美歌21 311番 血潮したたる ピアノ奏楽・長井志保乃さん

週報(第3557・3558号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

マタイによる福音書12章22~32節

「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」

各自自宅礼拝は継続します。しかし、今日から礼拝堂を開放しています。「ぜひご出席ください」と強くお勧めする段階にはまだ至っていないと認識しています。どうかくれぐれもご無理のないようにご判断いただきますようお願いいたします。

私は決して忘れているわけではありません。今は「受難節」です。イエス・キリストのご生涯は苦難に満ちたものでした。わたしたちの罪の身代わりに十字架上で命をおささげになる日まで父なる神の御心に従われました。そのことを思い起こし、わたしたちの罪を悔い、主の前にひれ伏して過ごす大事な季節です。

しかし、いま私たちは各自自宅礼拝を続けています。教会のみんなが互いに顔を合わせることができていません。日本社会の中で定着しているわけでもない「教会暦」を重んじて行動することの困難を私は感じています。

しかし、先日ひとつの気づきがありました。それは、3日前の2月25日(木)に教会の週報を私が自転車で何人かの教会員のお宅まで届けに行った日です。ご高齢であるのと、お目がご不自由であるのとで、毎週の礼拝出席は難しいけれどもイースターとクリスマスの礼拝には毎年必ず出席してくださるMさんと、西立川駅の近くでお会いしました。

お互いにマスクをしていました。私がこの教会に来て丸3年です。クリスマスとイースターの礼拝に来てくださるMさんとは6回はお会いしていますと言いたいところです。しかし昨年(2010年)のイースター礼拝が各自自宅礼拝でした。Mさんとの出会いは1回引いて5回です。それくらいお会いすれば、マスクをしていてもMさんだと分かります。お声をかけたら「なんでこんなところにいらっしゃるんですか」と驚かれ、喜んでくださいました。

そのMさんが、3日前にお会いしたとき、「イースター礼拝は、今年はいつですか」と真っ先に尋ねてくださいました。手に持っていたアイパッドで確認して「4月4日です」とお答えしたら「イースター礼拝、今年はありますよね。出席したいです」とおっしゃいました。

Mさんはおひとりでお住まいです。どのような生活をされているかをお尋ねしたりお宅を訪問したりするのが難しいので、想像するだけです。年2回、クリスマスとイースターの礼拝に出席すると心に定めておられることが分かりました。そして、昨年のイースター礼拝が各自自宅礼拝になったことがMさんにとってどれほど残念だったかを想像して、胸がつまりました。

私が今しているのは「教会暦」の話です。生まれたときから教会生活をしてきた私などは教会暦に何の意味があるのかが分からないことのほうが多いです。しかし、いまご紹介したMさんのような方がおられることを忘れないようにしたいと思わされました。

今日の聖書の箇所の話に移ります。この箇所に描かれているのは、イエスさまが、目や口が不自由な人たちをいやされるわざを行われて、多くの人々の称賛をお受けになったとき、要するにそれを妬んだ人たちがいて、その人たちがイエスさまについてありもしない中傷誹謗を言い出したのに対して、イエスさまが反論されている場面であると説明できます。

イエスさまが病気や障碍を持つ人々をいやす方法が現代の医学とは全く違うのは、当然のことです。悪霊にとりつかれることが病気であり、その悪霊を心と体の中から追い出すことが治療であると信じられていた時代の話であるとしか言いようがありません。21世紀の私たちが2千年前と同じ治療方法を踏襲しなければならないわけがないし、よりよき治療方法が見つかればそれを用いるほうがよいに決まっています。イエスさまの治療方法は間違っているのではないかというような問題に引っかかって聖書が読めなくなるよりましです。

とにかく人の体や心が、痛い、苦しい、つらいと悲鳴を上げているときにその痛み、苦しみ、つらさを和らげること、取り除くことができれば、それがいやしなのだと思います。今のわたしたちでも、とにかく薬を飲めば治ると信じて、その薬を定められた量以上に飲むとかえって痛みが増したり、薬そのもので内臓が痛んだりするのを知っているはずです。

いやしは、ある意味で主観的な事柄でしょう。いいかげんなことを言っているように思われるかもしれませんが、自分にとって治ったと思えるなら治っているのです。「あなたは病気です」と人から言われても、自分にその自覚がないのなら、病気ではないのかもしれません。

しかし、いま申し上げている問題は、今日の箇所のテーマではありません。この箇所の問題は、イエスさまの働きが当時の多くの人々にとって有効なものであることが認められて、多くの人々から称賛を受けられたとき、それを妬んだ人たちがいたということです。

それは明らかに嫉妬です。私が持っている古い広辞苑(第4版)によると、「嫉妬」とは「自分よりすぐれた者をねたみ、そねむこと」です。「ねたみ」とは「他人のすぐれた点にひけ目を感じたり人に先を越されたりして、うらやみ憎むこと」です。「うらやむ」とは「人の境遇・資質などが自分より良いのを見てねたましく思うこと」です。

辞書の定義としては「うらやむ」とは「ねたむこと」であり「ねたむ」とは「うらやむこと」であると、同じ言葉が繰り返されてぐるぐる回っているだけですが、意味はわかります。共通しているのは、他人と自分の比較であり、とくに同一のあるいは類似した仕事や立場にいる同士の間での比較です。同じ肩書きを持ち、同じ職務についているのに、私にできないことが、あの人にはできる。そのことに我慢できず腹を立て、できる人の働きを妨害して、足を引っ張ろうとするのが、嫉妬であり、ねたみであり、うらやみの意味です。

そのような感情を抱いた人々が、イエスさまの働きについて「悪霊の頭ベルゼブルによらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(24節)とくだらない噂を流したのです。「悪霊を追い出すためには悪霊の力を借りなくてはならない。つまり、イエスは悪霊を操っているのだ」と。

中傷誹謗のたぐいですから、無視なさってもよかったかもしれません。しかし、イエスさまは丁寧にお答えになりました。悪霊で悪霊を追い出すというのは内輪もめになるが、わたしは神の霊で悪霊を追い出しているのだと、興味深いお答えをなさっています。

「嫉妬」の問題は手強いです。おそらくだれもが持っていて、しかも制御しにくい感情です。それが心の中にとどまっているなら、まだ大丈夫です。心の外へと飛び出して精神的または物理的な暴力へと発展し、実際に他人の人生を破壊することがありうるだけに、凶悪な罪です。

しかし、その罪に対してイエスさまがどのような態度を示されたかが大事です。暴力に暴力で返すのではなく、丁寧にお答えになるイエスさまの姿を思い浮かべることができます。私たちの心の中の「嫉妬」という名の罪をイエスさまが取り除いてくださると信じようではありませんか。

(2021年2月28日 自宅・礼拝堂礼拝)


罪と戦うキリスト(2020年2月28日 自宅・礼拝堂礼拝)

【お知らせ】

なおしばらく各自自宅礼拝を継続しますが、本日2月28日(日)より礼拝堂を開放いたします。10時半から礼拝を行います。出席は可能です。役割分担は当分決めません。通常礼拝再開に向けての準備段階です。ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
 
自転車で週報をお届けしています(昭島市つつじが丘付近)

讃美歌21 311番 血潮したたる ピアノ奏楽・長井志保乃さん

週報(第3557・3558号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

マタイによる福音書12章22~32節

「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」

各自自宅礼拝は継続します。しかし、今日から礼拝堂を開放しています。「ぜひご出席ください」と強くお勧めする段階にはまだ至っていないと認識しています。どうかくれぐれもご無理のないようにご判断いただきますようお願いいたします。

私は決して忘れているわけではありません。今は「受難節」です。イエス・キリストのご生涯は苦難に満ちたものでした。わたしたちの罪の身代わりに十字架上で命をおささげになる日まで父なる神の御心に従われました。そのことを思い起こし、わたしたちの罪を悔い、主の前にひれ伏して過ごす大事な季節です。

しかし、いま私たちは各自自宅礼拝を続けています。教会のみんなが互いに顔を合わせることができていません。日本社会の中で定着しているわけでもない「教会暦」を重んじて行動することの困難を私は感じています。

しかし、先日ひとつの気づきがありました。それは、3日前の2月25日(木)に教会の週報を私が自転車で何人かの教会員のお宅まで届けに行った日です。ご高齢であるのと、お目がご不自由であるのとで、毎週の礼拝出席は難しいけれどもイースターとクリスマスの礼拝には毎年必ず出席してくださるMさんと、西立川駅の近くでお会いしました。

お互いにマスクをしていました。私がこの教会に来て丸3年です。クリスマスとイースターの礼拝に来てくださるMさんとは6回はお会いしていますと言いたいところです。しかし昨年(2010年)のイースター礼拝が各自自宅礼拝でした。Mさんとの出会いは1回引いて5回です。それくらいお会いすれば、マスクをしていてもMさんだと分かります。お声をかけたら「なんでこんなところにいらっしゃるんですか」と驚かれ、喜んでくださいました。

そのMさんが、3日前にお会いしたとき、「イースター礼拝は、今年はいつですか」と真っ先に尋ねてくださいました。手に持っていたアイパッドで確認して「4月4日です」とお答えしたら「イースター礼拝、今年はありますよね。出席したいです」とおっしゃいました。

Mさんはおひとりでお住まいです。どのような生活をされているかをお尋ねしたりお宅を訪問したりするのが難しいので、想像するだけです。年2回、クリスマスとイースターの礼拝に出席すると心に定めておられることが分かりました。そして、昨年のイースター礼拝が各自自宅礼拝になったことがMさんにとってどれほど残念だったかを想像して、胸がつまりました。

私が今しているのは「教会暦」の話です。生まれたときから教会生活をしてきた私などは教会暦に何の意味があるのかが分からないことのほうが多いです。しかし、いまご紹介したMさんのような方がおられることを忘れないようにしたいと思わされました。

今日の聖書の箇所の話に移ります。この箇所に描かれているのは、イエスさまが、目や口が不自由な人たちをいやされるわざを行われて、多くの人々の称賛をお受けになったとき、要するにそれを妬んだ人たちがいて、その人たちがイエスさまについてありもしない中傷誹謗を言い出したのに対して、イエスさまが反論されている場面であると説明できます。

イエスさまが病気や障碍を持つ人々をいやす方法が現代の医学とは全く違うのは、当然のことです。悪霊にとりつかれることが病気であり、その悪霊を心と体の中から追い出すことが治療であると信じられていた時代の話であるとしか言いようがありません。21世紀の私たちが2千年前と同じ治療方法を踏襲しなければならないわけがないし、よりよき治療方法が見つかればそれを用いるほうがよいに決まっています。イエスさまの治療方法は間違っているのではないかというような問題に引っかかって聖書が読めなくなるよりましです。

とにかく人の体や心が、痛い、苦しい、つらいと悲鳴を上げているときにその痛み、苦しみ、つらさを和らげること、取り除くことができれば、それがいやしなのだと思います。今のわたしたちでも、とにかく薬を飲めば治ると信じて、その薬を定められた量以上に飲むとかえって痛みが増したり、薬そのもので内臓が痛んだりするのを知っているはずです。

いやしは、ある意味で主観的な事柄でしょう。いいかげんなことを言っているように思われるかもしれませんが、自分にとって治ったと思えるなら治っているのです。「あなたは病気です」と人から言われても、自分にその自覚がないのなら、病気ではないのかもしれません。

しかし、いま申し上げている問題は、今日の箇所のテーマではありません。この箇所の問題は、イエスさまの働きが当時の多くの人々にとって有効なものであることが認められて、多くの人々から称賛を受けられたとき、それを妬んだ人たちがいたということです。

それは明らかに嫉妬です。私が持っている古い広辞苑(第4版)によると、「嫉妬」とは「自分よりすぐれた者をねたみ、そねむこと」です。「ねたみ」とは「他人のすぐれた点にひけ目を感じたり人に先を越されたりして、うらやみ憎むこと」です。「うらやむ」とは「人の境遇・資質などが自分より良いのを見てねたましく思うこと」です。

辞書の定義としては「うらやむ」とは「ねたむこと」であり「ねたむ」とは「うらやむこと」であると、同じ言葉が繰り返されてぐるぐる回っているだけですが、意味はわかります。共通しているのは、他人と自分の比較であり、とくに同一のあるいは類似した仕事や立場にいる同士の間での比較です。同じ肩書きを持ち、同じ職務についているのに、私にできないことが、あの人にはできる。そのことに我慢できず腹を立て、できる人の働きを妨害して、足を引っ張ろうとするのが、嫉妬であり、ねたみであり、うらやみの意味です。

そのような感情を抱いた人々が、イエスさまの働きについて「悪霊の頭ベルゼブルによらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(24節)とくだらない噂を流したのです。「悪霊を追い出すためには悪霊の力を借りなくてはならない。つまり、イエスは悪霊を操っているのだ」と。

中傷誹謗のたぐいですから、無視なさってもよかったかもしれません。しかし、イエスさまは丁寧にお答えになりました。悪霊で悪霊を追い出すというのは内輪もめになるが、わたしは神の霊で悪霊を追い出しているのだと、興味深いお答えをなさっています。

「嫉妬」の問題は手強いです。おそらくだれもが持っていて、しかも制御しにくい感情です。それが心の中にとどまっているなら、まだ大丈夫です。心の外へと飛び出して精神的または物理的な暴力へと発展し、実際に他人の人生を破壊することがありうるだけに、凶悪な罪です。

しかし、その罪に対してイエスさまがどのような態度を示されたかが大事です。暴力に暴力で返すのではなく、丁寧にお答えになるイエスさまの姿を思い浮かべることができます。私たちの心の中の「嫉妬」という名の罪をイエスさまが取り除いてくださると信じようではありませんか。

(2021年2月28日 自宅・礼拝堂礼拝)


2021年2月21日日曜日

荒れ野の誘惑(2021年2月21日 各自自宅礼拝)

週報を自転車でお届けしています(昭島市中神町付近)

讃美歌21 458番 信仰こそ旅路を オルガン奏楽・長井志保乃さん

週報(第3555・3556号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

マタイによる福音書4章1~11節

関口 康

「すると誘惑する者が来てイエスに言った。『神の子ならこれらの石がパンになるように命じたらどうだ。』イエスはお答えになった。『「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書いてある。』」

今日の午後、定例役員会・運営委員会を開きます。その中で通常礼拝再開のタイミングを協議します。協議を経る前に私が強い意見を持ちますと、自由な発言の妨げになりますので、それは控えます。しかし、ある程度は客観的な状況についてお話しすることは可能でしょう。

私は今でも週3日は朝早く電車やバスに乗り、2つの学校で聖書を教える授業をしています。行きも帰りも多くの人が、電車やバスに乗って移動しています。どちらの学校にも多くの生徒と先生が毎日集まっています。生徒は学校で昼食を食べています。もちろんすべての場所で対策がとられています。教会だけが極端に危険であるということはないでしょう。私に分かるのはその程度のことです。方針が固まり次第、皆様にご連絡いたします。

今日の聖書の箇所に記されているのは、教会生活が長い方にとっては何度聞いたか分からないほどよく知っているとお感じになるに違いない内容です。イエスさまが宣教活動をお始めになる前に、荒れ野で悪魔の誘惑に遭われたときの出来事です。

しかし、イエスさまが悪魔の誘惑に遭うとは具体的に言うと何のことでしょうか。その問題については私も毎回悩みます。皆さんはお分かりですか。人間でもなく野獣でもなく神でもない、怖い鬼のような顔の悪魔が歩いて来て、イエスさまに話しかけてきたのでしょうか。そうだったのかもしれませんが、そうでなかったかもしれません。

いえいえ、全くそういう話ではなく、イエスさまの心の中の葛藤のようなものだ。それを物語風に説明しているだけだ。つまりこれは、現代社会の中で高度に発達してきている心理学のようなことで十分に説明できる心理的な出来事である、という考え方もありうるでしょう。

私はどのように考えるか。どちらかというと今申し上げた二つのうち、あとのほうに近いです。イエスさまの心の中の葛藤のようなことではないかと考えます。ただし、イエスさまをあまりにも私たちと同じ人間としてとらえすぎて、イエスさまも選択肢をひとつ間違えば悪魔になる可能性もありえたかのように考えるのは、方向を間違っているような気がしてなりません。

しかし、この出来事をイエスさまの心の中の葛藤のようなこととしてとらえることにメリットがあります。それは、イエスさまが荒れ野で受けられたのと同じ誘惑を、わたしたちも受けるし、今も毎日のように受け続けているかもしれないことに気づかせてもらえるメリットです。

イエスさまがお受けになった3つの誘惑は、第1に「石をパンに変えること」、第2に「神殿の屋根から飛び降りること」、そして第3に「悪魔にひれ伏して世界の支配者になること」でした。それぞれの誘惑が何を意味するかは分かりません。マタイによる福音書にも、マルコによる福音書にも、ルカによる福音書にも同じ話が出てきますが、どれにも誘惑の意味は記されていません。記されていないということは、わたしたちがそれを解釈しなくてはならないということです。

石をパンに変えることができれば、自分自身だけでなく多くの人の利益になるので、みんなが喜んでくれるでしょう。そしてそれは、考えてみれば完全に不可能なこととは言い切れません。ダイヤモンドは石でしょう。あの石に値段をつけて売れば、相当なお金になるでしょう。それでパンを買って困った人に差し上げることができるでしょう。そのような意味のことが今日の聖書の箇所に記されていると、いま私が申し上げているわけではありません。「石をパンに変えることは絶対に不可能だろうか」という問いを立てて、その答えを考えてみているだけです。

神さまを信じているなら、神殿の屋根から飛び降りても、神さまが助けてくださるだろうから、試しにやってみる。そのことも、できるかどうかを言うなら、できるでしょう。そこが「神殿」でなくても、また「飛び降りる」というような口にしたくないことでなくても、あえて危険なことをしてみせて、何とかなるだろうと高を括る。それを「勇気」とか「信仰」とか呼ぶ。しかも悪魔はその危険行為を自分でするのではなく、イエスさまにさせるのです。使役するのです。

悪魔にひれ伏して世界の支配者になる、というのは、よくあることとまでは言わないにしても、人生経験を重ねて来れば、全く身に覚えがないとは言えなくなるでしょう。会社で出世したくて、社会で成功したくて、ライバルを蹴落とした、蹴散らした。ずるい方法も使った。越えてはならない一線を越えた。すべては自分の地位を守るため、財産を守るため。

イエスさまは、困った人にパンを差し上げることをなさいました。どんなことがあっても必ず助けてくださる神さまを信じて、冒険的なことをなさることもありました。そして、イエスさまは真の意味での世界の支配者になられました。クリスマスもイースターまでも世界中のどの国の人も、日本でも祝うようになりました。その意味を分かっているかどうかは深く問わないでおきましょう。どちらもイエスさまの生涯とかかわります。そのお祝いを世界中の人が今しています。

しかし、イエスさまは、今あげた3つの働きのどれについても、悪魔にひれ伏して手に入れたような方法でない、全く正反対の方法で成し遂げられました。その方法とは何でしょう。イエスさまがなさったのは、安息日ごとに会堂に集まって、礼拝をささげ、み言葉を語ることでした。それが宣教です。そして、お祈りと賛美をおささげになりました。そして、そのうえで、み言葉に耳を傾ける人々と共に生き、慰め励まし、病気の人をいやされました。

しかし、み言葉を語れば語るほど、反対する人たち、反発する人たちも増えて来て、その人々からの憎しみや怒りを買うようになり、とうとう十字架につけられて殺害されました。

もしイエスさまが、もう少しずる賢い方で、「うまく生きていく」すべをご存じなかったわけではないでしょうけれども、それを現実に実践し、人を人とも思わないような高圧的な態度で周囲を踏みつけるタイプの支配者だったとしたらどうだっただろうと考えてみることは、無意味ではないかもしれません。そのように考えた結果については言いません。各自で考えてみてください。

そして、それを考える際に、「教会」が「安心できるところ」であるともしわたしたちが感じるとすれば、どこにそれを感じるのだろうかということも、考えてみていただきたいです。

私の答えを言います。「教会」が「安心できるところ」なのは、悪魔にひれ伏して独裁的支配力を手に入れるイエスさまではなく、正反対のイエスさまがわたしたちと共にいて、わたしたちを力強く守ってくださっていることを感じるからです。

「退け、サタン」というイエスさまの声で悪魔は退散したのでしょう。あの安心できるところに、またみんなで集まり、「ああ なつかしい教会へ 今日こそみんなで帰ろう」(讃美歌第二編189番)と共に歌おうではありませんか。

(2021年2月21日 各自自宅礼拝)

2021年2月14日日曜日

奇跡を行うキリスト(2021年2月14日 各自自宅礼拝)

牧師館書斎

週報(第3555・3556号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教の音声(MP3)はここをクリックするとお聴きいただけます(13分42秒)

マタイによる福音書14章22~36節

関口 康

「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』」

昨夜の大きな地震には驚きました。23時8分、福島・宮城沖で発生したとのことです。教会は大丈夫でしたが、皆様はいかがでしたでしょうか。ご無事をお祈りしています。

今日の聖書箇所に登場するイエスさまの弟子たちも恐怖に怯えていました。それは湖に浮かぶ舟の中での出来事でした。

よく知られているように、イエスさまの弟子たちの中には何人か、元の職業が漁師だった人がいました。舟を漕ぐことのプロフェショナルが揃っていたと言えるでしょう。しかし、その彼らを悩ませるほどの逆風と波が襲いかかってきました。それが夕方から始まり、夜明けまで続いたというのです。

すると、夜が明けるころイエスさまが「湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」(25節)というのです。通常はありえないことです。しかし、そのようなことが本当に起こったと、今日開いていただいているマタイによる福音書にも、マルコによる福音書にも、ヨハネによる福音書にも記されています。

「こういうことが書かれているから聖書が嫌いだ」とおっしゃる方がおられます。昭島教会の皆さんの中におられるという意味ではなく一般論です。ウソとしか言いようがないことがまるで本当に起こったかのように書いてある。おいそれと信じられるわけがないではないか。どうしてこんなことをクリスチャンは真顔で信じていられるのだろうと。そういう感想をいろんなところでよく聞きます。私もだいたい同じ気持ちです。すんなり受け入れられる内容ではありません。

もちろん、それはそうなのです。しかし、大事な点を見落としてはならないと私は思います。私が思い出す言葉は、英語で言えばDon't throw the baby out with the bathwater.という欧米圏で知られる有名な格言です。

それは「産湯と一緒にその中の赤ちゃんまで流さないでください」という意味です。どこの国の、どの時代の、だれが最初に言ったかは不明だそうです。しかし、この言葉が聖書の奇跡物語に当てはまります。書かれていることを信じられないからといって書かれている言葉に含まれている大切なことまで捨ててしまうのは勿体ないです。

はっきりしているのは、今日の箇所に描かれているのは、嵐の湖上で孤立して怯えながら一夜を明かした弟子たちのところに、何がどうなってそうなったかを説明するのはものすごく難しいことだけれども、そういうことはすべて脇に置いて、とにかくイエスさまが来てくださり、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(27節)という言葉で励まし慰めてくださった出来事である、ということです。

そんなことを脇に置けるわけがないだろうとお考えになる向きがあることも当然理解できます。私もほとんど同じ気持ちです。しかし、この箇所に描かれているのと同じようなことが、わたしたち自身の現実の中でも、意外なほど、不思議なほど起こるということも、わたしたちは同時に知っていると思います。

なにがなんだか分からないけれども、とにかく助けられた。「一寸先は闇」の状況まで追い詰められたけれども、どっこいまだ生きている。あせって、乱れて、狂いそうだったけれども、心が落ち着いた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という、どこか懐かしくて温かい声が聞こえた、または聞こえたような気がした。それで我に返った。正気になった。冷静になることができた。そういう瞬間をわたしたちは体験するし、してきたのではないかと思います。

それが誰の声かは分かりません。もしかしたら自分自身の声かもしれませんし、家族の声かもしれないし、教会の仲間や牧師の声かもしれません。むかし学校で教えてもらった先生の声かもしれません。

しかし、それはだれの声でもいいでしょう。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われ、それで本当に心が落ち着き、「もうこれ以上は無理だ」とあきらめることをやめて、冷静な舵取りを再開し、向こう岸にたどりつくことを、自分の力だけで成し遂げたとはどう考えても言えないような仕方でやってのける。「終わりよければすべてよし」というような軽い話ではないと思いますが、とにかく要するに、まだ生きている、自分の足でまだ立っているという状況まで至れば、それでよいのです。

今日の箇所に書かれていることからだいぶ離れて、いいかげんなことを話しているようで申し訳ありません。ペトロがイエスさまに、自分も湖の水の上を歩きたいと言い出して、「来なさい」とイエスさまがおっしゃって、実際に水の上を歩き始めたけれども、強い風に気がついて、怖くなって、沈みかけたので「主よ、助けてください」とペトロが言ったら、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とイエスさまに叱られた、というような話が続いています。

こういうのも面白おかしく読めばよい、というのは不謹慎な言い方かもしれませんが、「お話にならない非科学的で荒唐無稽な虚偽の記述である」と、しかめっ面で拒否するよりはましです。これも先ほどご紹介した「産湯と一緒に赤子を流すな」です。

ここに書かれていることの意味を考えるとしたら、ペトロは自分にもイエスさまと同じことができると思い込んで、自分の力に頼って、イエスさまの真似をしようとしたらできなかった、ということでしょう。「信じる」とは自分の力に頼ることの正反対を意味する、ということでしょう。このことさえ分かれば、この物語が読者に伝えようとしていることの目的は達成しているのです。あとのことはどうでもいいとは言いませんが、奇跡物語が苦手で聖書全体を捨ててしまうよりはましです。

私の話はしないでおきます。「先生、まだ若い」と皆さんからよく言われます。学校の生徒たちからまで言われます。人生体験を語る資格はありません。皆さんのほうが余程ご存じでしょう。あのとき危なかった。大怪我をしたけれども、まだ生きている。奇跡だとしか言いようがない。焦る気持ちの中で「安心しなさい」と、私を落ち着かせてくれる声が聞こえた気がした。

その体験がおありでしたら(きっとあるでしょう)、今日の聖書の箇所の意味が分かるはずです。わたしたちをいつも見守り、助けてくださるために、身を乗り出して来てくださる方がおられることを信じてよいのです。今ここに、各自自宅礼拝に、主が共におられるのです。

(2021年2月14日 各自自宅礼拝)

奇跡を行うキリスト(2021年2月14日 各自自宅礼拝)

牧師館書斎

週報(第3555・3556号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

宣教の音声(MP3)はここをクリックするとお聴きいただけます(13分42秒)

マタイによる福音書14章22~36節

関口 康

「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』」

昨夜の大きな地震には驚きました。23時8分、福島・宮城沖で発生したとのことです。教会は大丈夫でしたが、皆様はいかがでしたでしょうか。ご無事をお祈りしています。

今日の聖書箇所に登場するイエスさまの弟子たちも恐怖に怯えていました。それは湖に浮かぶ舟の中での出来事でした。

よく知られているように、イエスさまの弟子たちの中には何人か、元の職業が漁師だった人がいました。舟を漕ぐことのプロフェショナルが揃っていたと言えるでしょう。しかし、その彼らを悩ませるほどの逆風と波が襲いかかってきました。それが夕方から始まり、夜明けまで続いたというのです。

すると、夜が明けるころイエスさまが「湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」(25節)というのです。通常はありえないことです。しかし、そのようなことが本当に起こったと、今日開いていただいているマタイによる福音書にも、マルコによる福音書にも、ヨハネによる福音書にも記されています。

「こういうことが書かれているから聖書が嫌いだ」とおっしゃる方がおられます。昭島教会の皆さんの中におられるという意味ではなく一般論です。ウソとしか言いようがないことがまるで本当に起こったかのように書いてある。おいそれと信じられるわけがないではないか。どうしてこんなことをクリスチャンは真顔で信じていられるのだろうと。そういう感想をいろんなところでよく聞きます。私もだいたい同じ気持ちです。すんなり受け入れられる内容ではありません。

もちろん、それはそうなのです。しかし、大事な点を見落としてはならないと私は思います。私が思い出す言葉は、英語で言えばDon't throw the baby out with the bathwater.という欧米圏で知られる有名な格言です。

それは「産湯と一緒にその中の赤ちゃんまで流さないでください」という意味です。どこの国の、どの時代の、だれが最初に言ったかは不明だそうです。しかし、この言葉が聖書の奇跡物語に当てはまります。書かれていることを信じられないからといって書かれている言葉に含まれている大切なことまで捨ててしまうのは勿体ないです。

はっきりしているのは、今日の箇所に描かれているのは、嵐の湖上で孤立して怯えながら一夜を明かした弟子たちのところに、何がどうなってそうなったかを説明するのはものすごく難しいことだけれども、そういうことはすべて脇に置いて、とにかくイエスさまが来てくださり、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(27節)という言葉で励まし慰めてくださった出来事である、ということです。

そんなことを脇に置けるわけがないだろうとお考えになる向きがあることも当然理解できます。私もほとんど同じ気持ちです。しかし、この箇所に描かれているのと同じようなことが、わたしたち自身の現実の中でも、意外なほど、不思議なほど起こるということも、わたしたちは同時に知っていると思います。

なにがなんだか分からないけれども、とにかく助けられた。「一寸先は闇」の状況まで追い詰められたけれども、どっこいまだ生きている。あせって、乱れて、狂いそうだったけれども、心が落ち着いた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という、どこか懐かしくて温かい声が聞こえた、または聞こえたような気がした。それで我に返った。正気になった。冷静になることができた。そういう瞬間をわたしたちは体験するし、してきたのではないかと思います。

それが誰の声かは分かりません。もしかしたら自分自身の声かもしれませんし、家族の声かもしれないし、教会の仲間や牧師の声かもしれません。むかし学校で教えてもらった先生の声かもしれません。

しかし、それはだれの声でもいいでしょう。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われ、それで本当に心が落ち着き、「もうこれ以上は無理だ」とあきらめることをやめて、冷静な舵取りを再開し、向こう岸にたどりつくことを、自分の力だけで成し遂げたとはどう考えても言えないような仕方でやってのける。「終わりよければすべてよし」というような軽い話ではないと思いますが、とにかく要するに、まだ生きている、自分の足でまだ立っているという状況まで至れば、それでよいのです。

今日の箇所に書かれていることからだいぶ離れて、いいかげんなことを話しているようで申し訳ありません。ペトロがイエスさまに、自分も湖の水の上を歩きたいと言い出して、「来なさい」とイエスさまがおっしゃって、実際に水の上を歩き始めたけれども、強い風に気がついて、怖くなって、沈みかけたので「主よ、助けてください」とペトロが言ったら、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とイエスさまに叱られた、というような話が続いています。

こういうのも面白おかしく読めばよい、というのは不謹慎な言い方かもしれませんが、「お話にならない非科学的で荒唐無稽な虚偽の記述である」と、しかめっ面で拒否するよりはましです。これも先ほどご紹介した「産湯と一緒に赤子を流すな」です。

ここに書かれていることの意味を考えるとしたら、ペトロは自分にもイエスさまと同じことができると思い込んで、自分の力に頼って、イエスさまの真似をしようとしたらできなかった、ということでしょう。「信じる」とは自分の力に頼ることの正反対を意味する、ということでしょう。このことさえ分かれば、この物語が読者に伝えようとしていることの目的は達成しているのです。あとのことはどうでもいいとは言いませんが、奇跡物語が苦手で聖書全体を捨ててしまうよりはましです。

私の話はしないでおきます。「先生、まだ若い」と皆さんからよく言われます。学校の生徒たちからまで言われます。人生体験を語る資格はありません。皆さんのほうが余程ご存じでしょう。あのとき危なかった。大怪我をしたけれども、まだ生きている。奇跡だとしか言いようがない。焦る気持ちの中で「安心しなさい」と、私を落ち着かせてくれる声が聞こえた気がした。

その体験がおありでしたら(きっとあるでしょう)、今日の聖書の箇所の意味が分かるはずです。わたしたちをいつも見守り、助けてくださるために、身を乗り出して来てくださる方がおられることを信じてよいのです。今ここに、各自自宅礼拝に、主が共におられるのです。

(2021年2月14日 各自自宅礼拝)




奇跡を行うキリスト(2021年2月14日 各自自宅礼拝)

牧師館書斎

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マタイによる福音書14章22~36節

関口 康

「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』」

昨夜の大きな地震には驚きました。23時8分、福島・宮城沖で発生したとのことです。教会は大丈夫でしたが、皆様はいかがでしたでしょうか。ご無事をお祈りしています。

今日の聖書箇所に登場するイエスさまの弟子たちも恐怖に怯えていました。それは湖に浮かぶ舟の中での出来事でした。

よく知られているように、イエスさまの弟子たちの中には何人か、元の職業が漁師だった人がいました。舟を漕ぐことのプロフェショナルが揃っていたと言えるでしょう。しかし、その彼らを悩ませるほどの逆風と波が襲いかかってきました。それが夕方から始まり、夜明けまで続いたというのです。

すると、夜が明けるころイエスさまが「湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」(25節)というのです。通常はありえないことです。しかし、そのようなことが本当に起こったと、今日開いていただいているマタイによる福音書にも、マルコによる福音書にも、ヨハネによる福音書にも記されています。

「こういうことが書かれているから聖書が嫌いだ」とおっしゃる方がおられます。昭島教会の皆さんの中におられるという意味ではなく一般論です。ウソとしか言いようがないことがまるで本当に起こったかのように書いてある。おいそれと信じられるわけがないではないか。どうしてこんなことをクリスチャンは真顔で信じていられるのだろうと。そういう感想をいろんなところでよく聞きます。私もだいたい同じ気持ちです。すんなり受け入れられる内容ではありません。

もちろん、それはそうなのです。しかし、大事な点を見落としてはならないと私は思います。私が思い出す言葉は、英語で言えばDon't throw the baby out with the bathwater.という欧米圏で知られる有名な格言です。

それは「産湯と一緒にその中の赤ちゃんまで流さないでください」という意味です。どこの国の、どの時代の、だれが最初に言ったかは不明だそうです。しかし、この言葉が聖書の奇跡物語に当てはまります。書かれていることを信じられないからといって書かれている言葉に含まれている大切なことまで捨ててしまうのは勿体ないです。

はっきりしているのは、今日の箇所に描かれているのは、嵐の湖上で孤立して怯えながら一夜を明かした弟子たちのところに、何がどうなってそうなったかを説明するのはものすごく難しいことだけれども、そういうことはすべて脇に置いて、とにかくイエスさまが来てくださり、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(27節)という言葉で励まし慰めてくださった出来事である、ということです。

そんなことを脇に置けるわけがないだろうとお考えになる向きがあることも当然理解できます。私もほとんど同じ気持ちです。しかし、この箇所に描かれているのと同じようなことが、わたしたち自身の現実の中でも、意外なほど、不思議なほど起こるということも、わたしたちは同時に知っていると思います。

なにがなんだか分からないけれども、とにかく助けられた。「一寸先は闇」の状況まで追い詰められたけれども、どっこいまだ生きている。あせって、乱れて、狂いそうだったけれども、心が落ち着いた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という、どこか懐かしくて温かい声が聞こえた、または聞こえたような気がした。それで我に返った。正気になった。冷静になることができた。そういう瞬間をわたしたちは体験するし、してきたのではないかと思います。

それが誰の声かは分かりません。もしかしたら自分自身の声かもしれませんし、家族の声かもしれないし、教会の仲間や牧師の声かもしれません。むかし学校で教えてもらった先生の声かもしれません。

しかし、それはだれの声でもいいでしょう。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われ、それで本当に心が落ち着き、「もうこれ以上は無理だ」とあきらめることをやめて、冷静な舵取りを再開し、向こう岸にたどりつくことを、自分の力だけで成し遂げたとはどう考えても言えないような仕方でやってのける。「終わりよければすべてよし」というような軽い話ではないと思いますが、とにかく要するに、まだ生きている、自分の足でまだ立っているという状況まで至れば、それでよいのです。

今日の箇所に書かれていることからだいぶ離れて、いいかげんなことを話しているようで申し訳ありません。ペトロがイエスさまに、自分も湖の水の上を歩きたいと言い出して、「来なさい」とイエスさまがおっしゃって、実際に水の上を歩き始めたけれども、強い風に気がついて、怖くなって、沈みかけたので「主よ、助けてください」とペトロが言ったら、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とイエスさまに叱られた、というような話が続いています。

こういうのも面白おかしく読めばよい、というのは不謹慎な言い方かもしれませんが、「お話にならない非科学的で荒唐無稽な虚偽の記述である」と、しかめっ面で拒否するよりはましです。これも先ほどご紹介した「産湯と一緒に赤子を流すな」です。

ここに書かれていることの意味を考えるとしたら、ペトロは自分にもイエスさまと同じことができると思い込んで、自分の力に頼って、イエスさまの真似をしようとしたらできなかった、ということでしょう。「信じる」とは自分の力に頼ることの正反対を意味する、ということでしょう。このことさえ分かれば、この物語が読者に伝えようとしていることの目的は達成しているのです。あとのことはどうでもいいとは言いませんが、奇跡物語が苦手で聖書全体を捨ててしまうよりはましです。

私の話はしないでおきます。「先生、まだ若い」と皆さんからよく言われます。学校の生徒たちからまで言われます。人生体験を語る資格はありません。皆さんのほうが余程ご存じでしょう。あのとき危なかった。大怪我をしたけれども、まだ生きている。奇跡だとしか言いようがない。焦る気持ちの中で「安心しなさい」と、私を落ち着かせてくれる声が聞こえた気がした。

その体験がおありでしたら(きっとあるでしょう)、今日の聖書の箇所の意味が分かるはずです。わたしたちをいつも見守り、助けてくださるために、身を乗り出して来てくださる方がおられることを信じてよいのです。今ここに、各自自宅礼拝に、主が共におられるのです。

(2021年2月14日 各自自宅礼拝)

2021年2月10日水曜日

常に時流に逆らった神学者ファン・ルーラー(拙訳)


ファン・ルーラーについての比較的新しい情報をオランダの新聞(ネット版)で見つけましたので、久しぶりの拙訳で紹介します。

ディルク・ファン・ケウレン先生は、2007年から刊行が開始され、2021年2月現在いまだ完成していない、1万ページを超える『ファン・ルーラー著作集』全12巻(予定)の編集長です。

彼は1964年生まれなので、1965年生まれの私と同世代です。2008年12月の国際ファン・ルーラー学会でお会いしました。ルックスは12年前と全く変わっていないので安心しました。私も変わっていませんけどね。

この著作集が完成したら私の研究を再開したいと思っているので、まだしばらくのんびりできそうだと、たかをくくっています。そんなことを言っているうちに、目はかすみ、体力を失い、死んでいくのでしょう。

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「常に時流に逆らった神学者ファン・ルーラー」

クラース・ファン・デア・ツヴァーク

2020年12月14日14:00

(関口康訳)

「ファン・ルーラーは同じ時代を生きる人々が求めているものを正確に感じ取っていた」。

このように2020年12月15日(火)に発売される『ファン・ルーラー著作集』第5巻(上)の編集長であるディルク・ファン・ケウレン博士が述べている。

このたび発売される巻は約800ページある。全体は、次の5つの部分に分かれている。

Ⅰ 牧師の視点から見た教会

Ⅱ 教会の諸側面

Ⅲ 日曜日・教会生活・礼拝・教会建築

Ⅳ 説教

Ⅴ 聖礼典

しかし、『著作集』はまだ完成していない。残っているのは、以下の部分である。

第5巻(下)信仰告白と教会訓練

      国民教会

      伝道と宣教

第7巻(上)宗教改革とエキュメニズム(カトリックとの関係)

第7巻(下)他の神学者たちについて

『ファン・ルーラー著作集』は総ページ数約1万ページに及ぶ全12巻になった。編集長ファン・ケウレンが次のように書いている。

「ファン・ルーラーはミスコッテとノールトマンスに次ぐ20世紀オランダの3大神学者に数えられる。ファン・ルーラーは他の2人と同様に独創的である。しかし彼が書いたものはあまり読まれなかった。彼が書いたのは、短くて、連載もので、教会の幅広い読者層向けのものだった」。

しかしファン・ルーラーは、教会が彼を無視し、黙殺することに対して不満を持っていた。彼は当時の流行に同意していなかったからである。

「まさにそれが悩みだった。彼の本は神学雑誌で無視された。しかし、そのような本が教会の機関紙で活発に議論されたことは驚嘆に値する。ファン・ルーラーは常に彼の時代に反応した。教会が右に移動すると、彼は左に移動した。逆も然り。彼の本はほとんどが時節に合わせたものであり、常に反論を呼び起こした。議論が起こることは喜んだが、それが孤独感の原因になった。彼は自分が理解されていると感じていなかった」。

「要するにファン・ルーラーは組織神学者(「体系的な」神学者)ではなかったのだ。おそらくこれが、当時の神学がファン・ルーラーをどう扱えばよいのか分からなかった原因である。彼はドイツの哲学者ヘーゲルから多くのことを学んだと折々に書いている。あの哲学はテーゼ、アンチテーゼ、ジュンテーゼ(正・反・合)を考える。テーゼとアンチテーゼがぶつかると、火花が飛び散る音がする。その音がファン・ルーラーの中で起こる。しかし、彼はヘーゲルのように統合しない。矛盾を矛盾のままにする。そのほうが我々の時代に合っている。ファン・ルーラーに体系は見当たらない。体系は現実の中で崩壊しているからである」。

『ファン・ルーラー著作集』に収録された『私はなぜ教会に通うのか』という本はオランダの神学の中で最も独創的な礼拝論のひとつであるとファン・ケウレンは語る。「ファン・ルーラーはセオクラシーまで考える人だった。彼は聖餐式を毎週行うべきだと考えたし、礼拝のすべてを説教壇から司式するのではなく、祈祷は聖餐卓で行うべきであるとも考えたが、結局支持されなかった。彼は聖餐式を避けることに反対し、聖餐式に出席しないことは出席するのと同じくらい大きな罪でありうると述べた。ファン・ルーラーによると、聖礼典は信仰を強めるために不可欠な教会の本質であるが、同時にそれは礼拝の中心である」。

(改革主義日報インターネット版 2020年12月14日付け)

https://www.rd.nl/artikel/904453-dr-van-keulen-hervormde-theoloog-a-a-van-ruler-ging-altijd-tegen-de-stroom-in

2021年2月7日日曜日

いやすキリスト(2021年2月7日 各自自宅礼拝)





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マタイによる福音書15章21~31節

牧師 石川献之助

「大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足元に横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。」

主イエスの御生涯について、宣教を通してお話できる事は、私にとって大変光栄に思う他はありません。特に今朝お読みしたマタイによる福音書は、その主イエスの御生涯について語られている共観福音書の冒頭の福音書でありまして、その一節である今週の御言葉は、特に私たちの心を打つ聖書の箇所の一つであります。

おそらく主イエスの晩年その短い公生涯に起こった、しかも主イエスの十字架の死に終わるその直前の出来事と思われます。そこには、娘の病に苦しむカナンの一人の女性の切実な求めに、主が応えられた話が書かれています。

パレスチナでは、主イエスが一人になれる場所は無かったと言えるでしょう。どこへ行っても群衆が主イエスの居場所を探しだしたからであります。そこで主イエスはガリラヤを通り抜けて、北にあるフェニキア人の地、ティルスとシドンに行かれました。

この地では主イエスは一時的であっても、学者、パリサイ人の悪質な反抗と群衆が主イエスによせる危険な期待とをさけることができました。ユダヤ人は主イエスについて異邦人の地までは行かなかったからであります。主イエスはわざわざ静かな場所に退かれました。それは最後の時を前にして、心備えのために、静かな時をもとうとされたのかもしれません。

しかし、この外国の地においても、主イエスは助けを求める人間の切なる願いから逃れることはできませんでした。ここには重病の娘を持つ母親がいました。この異邦人の女性は主イエスが行われる奇跡のことを知っていたに違いありません。そこで彼女は主イエスと弟子たちについてきて真剣に助けを求めました。これに対して主イエスはお答えになりました。

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(24 節)つまり私には関係がない、放っておきなさいということが主イエスの最初の答えでした。しかしこの女性は人々をかきわけて主イエスの前にひれ伏し助けを求めました。主イエスはまた答えて「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」(26節)といい、この女性の求めをもう一度退けられました。

この女性は、主イエスの度々の否定的な答えに、「主よ、ごもっともです。しかし子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27節)と諦めることなく続けます。これに対して主イエスは答えました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」(28節) その時娘の病気はいやされたとあります。

この出来事を通して、私たちも時に直面する祈りの問題について学ぶことが出来るでしょう。私たちの信仰の生活にとって大切な御言葉でありましょう。主イエスがユダヤ人の住むパレスチナの地域外に出られたのは、ただこの一回だけでありました。このことは、やがて福音が全世界に出ていくことを示唆しているという意味で意義深いと思います 。

この出来事に続くこの出来事に続く29節以下の箇所には、主イエスがガリラヤ湖のほとりに戻られてから、大勢の病人を癒された事が記されています。

すなわち主イエスが山に登って座っておられると、「大勢の群衆が、目の見えない人、身体の不自由な人、口のきけない人、その他多くの病人をつれて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人を癒された」(30節)

主イエスがまことの慈しみ深いお方であることを学びます。主イエスの愛の業に学び、私たちも、隣人と共に生きる道を歩んでいきたいと思います。

常に私たちは、様々な困難を抱えています。さらに今は新型コロナウイルスの深刻な影響が長期間となり、医療や福祉の問題はもとより、たくさんの社会問題が発生し心を痛める毎日が続いています。私たちは支え合い祈り合って、この難しい時を乗り越えていかなければならないと強く思います。

先週の自宅礼拝(1月31日)でささげた讃美歌403番(旧453番)は、私にとって思い出深い恵みの讃美歌でした。戦時中ですが、私の父・石川力之助牧師が牧会をしていた深川猿江町教会で当時十数名の出席者と共に礼拝をしていた時の記憶です。

教会から5分とかからない所に、野呂芳男氏が住んでおられました。当時、野呂氏は慶応大学文学部に通い、私は中学生で野呂氏は私にとって兄のような存在でした。野呂氏は後に神学者の道を歩むのですが、彼の信仰理解は私に多くの影響を与えてくれました。礼拝、その他の集会も休むことなく一緒に守ったものです。

その中で一緒にささげた讃美歌の一つが旧旧讃美歌453番でした。私は今でも、歌詞ばかりでなくベースのパートまで思い浮かぶのです。戦時中のことで今から七十数年前のことですが、懐かしく良く覚えています。戦時中、戦後共変わらずに礼拝を変わらずに礼拝を大切に守り通した歴史を思い浮かべます。希望に溢れた讃美歌ですのでここに記します。

(旧453番)

1.きけや愛の言葉を、もろ国人らの 罪とがをのぞく 主の御言葉を 主のみことばを

(繰り返し)

やがて時は来たらん、神のみ光りの あまねく世をてらす あしたは来たらん

2.見よや救いの君を、世のため悩みて あがないの道を 開きしイエスを、ひらきしイエスを

3.うたえ声を合せて あめつちと共に、よろこびにみつる さかえの歌を さかえのうたを

2月となり、今日で昭島教会の自宅礼拝も5回目であります。日曜日に教会で兄弟姉妹とお会いして、共に礼拝をささげ、交わりを深めながら励まし合うことの尊さ、大切さを改めて感じます。主にあって希望を紡ぎ、信仰を持って祈りに助けられ、信仰生活を全うするべく励んで参りましょう。

(2021年2月7日、各自自宅礼拝)


いやすキリスト(2021年2月7日 各自自宅礼拝)



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マタイによる福音書15章21~31節

牧師 石川献之助

「大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足元に横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。」

主イエスの御生涯について、宣教を通してお話できる事は、私にとって大変光栄に思う他はありません。特に今朝お読みしたマタイによる福音書は、その主イエスの御生涯について語られている共観福音書の冒頭の福音書でありまして、その一節である今週の御言葉は、特に私たちの心を打つ聖書の箇所の一つであります。

おそらく主イエスの晩年その短い公生涯に起こった、しかも主イエスの十字架の死に終わるその直前の出来事と思われます。そこには、娘の病に苦しむカナンの一人の女性の切実な求めに、主が応えられた話が書かれています。

パレスチナでは、主イエスが一人になれる場所は無かったと言えるでしょう。どこへ行っても群衆が主イエスの居場所を探しだしたからであります。そこで主イエスはガリラヤを通り抜けて、北にあるフェニキア人の地、ティルスとシドンに行かれました。

この地では主イエスは一時的であっても、学者、パリサイ人の悪質な反抗と群衆が主イエスによせる危険な期待とをさけることができました。ユダヤ人は主イエスについて異邦人の地までは行かなかったからであります。主イエスはわざわざ静かな場所に退かれました。それは最後の時を前にして、心備えのために、静かな時をもとうとされたのかもしれません。

しかし、この外国の地においても、主イエスは助けを求める人間の切なる願いから逃れることはできませんでした。ここには重病の娘を持つ母親がいました。この異邦人の女性は主イエスが行われる奇跡のことを知っていたに違いありません。そこで彼女は主イエスと弟子たちについてきて真剣に助けを求めました。これに対して主イエスはお答えになりました。

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(24 節)つまり私には関係がない、放っておきなさいということが主イエスの最初の答えでした。しかしこの女性は人々をかきわけて主イエスの前にひれ伏し助けを求めました。主イエスはまた答えて「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」(26節)といい、この女性の求めをもう一度退けられました。

この女性は、主イエスの度々の否定的な答えに、「主よ、ごもっともです。しかし子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27節)と諦めることなく続けます。これに対して主イエスは答えました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」(28節) その時娘の病気はいやされたとあります。

この出来事を通して、私たちも時に直面する祈りの問題について学ぶことが出来るでしょう。私たちの信仰の生活にとって大切な御言葉でありましょう。主イエスがユダヤ人の住むパレスチナの地域外に出られたのは、ただこの一回だけでありました。このことは、やがて福音が全世界に出ていくことを示唆しているという意味で意義深いと思います 。

この出来事に続くこの出来事に続く29節以下の箇所には、主イエスがガリラヤ湖のほとりに戻られてから、大勢の病人を癒された事が記されています。

すなわち主イエスが山に登って座っておられると、「大勢の群衆が、目の見えない人、身体の不自由な人、口のきけない人、その他多くの病人をつれて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人を癒された」(30節)

主イエスがまことの慈しみ深いお方であることを学びます。主イエスの愛の業に学び、私たちも、隣人と共に生きる道を歩んでいきたいと思います。

常に私たちは、様々な困難を抱えています。さらに今は新型コロナウイルスの深刻な影響が長期間となり、医療や福祉の問題はもとより、たくさんの社会問題が発生し心を痛める毎日が続いています。私たちは支え合い祈り合って、この難しい時を乗り越えていかなければならないと強く思います。

先週の自宅礼拝(1月31日)でささげた讃美歌403番(旧453番)は、私にとって思い出深い恵みの讃美歌でした。戦時中ですが、私の父・石川力之助牧師が牧会をしていた深川猿江町教会で当時十数名の出席者と共に礼拝をしていた時の記憶です。

教会から5分とかからない所に、野呂芳男氏が住んでおられました。当時、野呂氏は慶応大学文学部に通い、私は中学生で野呂氏は私にとって兄のような存在でした。野呂氏は後に神学者の道を歩むのですが、彼の信仰理解は私に多くの影響を与えてくれました。礼拝、その他の集会も休むことなく一緒に守ったものです。

その中で一緒にささげた讃美歌の一つが旧旧讃美歌453番でした。私は今でも、歌詞ばかりでなくベースのパートまで思い浮かぶのです。戦時中のことで今から七十数年前のことですが、懐かしく良く覚えています。戦時中、戦後共変わらずに礼拝を変わらずに礼拝を大切に守り通した歴史を思い浮かべます。希望に溢れた讃美歌ですのでここに記します。

(旧453番)

1.きけや愛の言葉を、もろ国人らの 罪とがをのぞく 主の御言葉を 主のみことばを

(繰り返し)

やがて時は来たらん、神のみ光りの あまねく世をてらす あしたは来たらん

2.見よや救いの君を、世のため悩みて あがないの道を 開きしイエスを、ひらきしイエスを

3.うたえ声を合せて あめつちと共に、よろこびにみつる さかえの歌を さかえのうたを

2月となり、今日で昭島教会の自宅礼拝も5回目であります。日曜日に教会で兄弟姉妹とお会いして、共に礼拝をささげ、交わりを深めながら励まし合うことの尊さ、大切さを改めて感じます。主にあって希望を紡ぎ、信仰を持って祈りに助けられ、信仰生活を全うするべく励んで参りましょう。

(2021年2月7日、各自自宅礼拝)