2020年5月3日日曜日

弟子への委託(2020年5月3日 礼拝宣教)

石川献之助牧師
「今日の挨拶(関口康)」(音声1分)はここをクリックするとダウンロードできます NEW !

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ヨハネによる福音書21章15節~25節

石川献之助

皆さん、私は今日も神様に守られて元気に生きています!

おかげさまで今週の6日には93歳の誕生日を迎えようとしています。この歳まで生きると「天国は近づいている」と思わされることが多いものですから、毎朝目を覚ました時に、新しい一日を生かされているという実感と共に、神様への感謝の思いを抱かずにはいられません。

自粛生活の中で身体が弱らないように、家の中での歩行練習やひと気のない場所での散歩などに努め、また食事を残さないようにいただくなど、自分を励まして過ごしています。それは再び兄弟姉妹が教会に集い、共に礼拝が出来る日を待ち望んでいるからです。

どうぞこの難しい時代を、祈りと思いをひとつにして、主に支えられて共に歩んでいきたいと心から願っています。

先週は、関口先生によって、ヨハネによる福音書21章1節から14節の聖書箇所を学びました。甦られた主イエスが、7人の弟子達のもとへ現れて、共に食事をなさったところです。

本日はその後15節からの御言葉が与えられています。食事を終えたのちに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と主イエスは言われました。

この後続けて主イエスは3回同じ質問をされています。主イエスは十字架にかかる前にイエスの事を3度知らないと言ったペテロ(ペトロ)<マタイ26章69節~75節>に、主への愛を宣言させることにより、「知らない」と言った記憶をぬぐいさらせようとしたのだという見方をする人もあります。主イエスのペテロへの温かい思いが表れている箇所であります。

このペテロへの「わたしを愛しているか」という主イエスの投げかけは、「もしあなたが私を愛するなら私の群れを牧するために生涯を献げなさい」という、ペテロへの委託の言葉であったのであります。主イエスは十字架による死によって終わったのではなく、甦られてこれから始まる神の国の救いの成就のために、弟子たちに臨まれたのであります。

私はかつてローマに旅行しバチカンの前を通った時、そこにペテロの立派な像が建てられているのを見て、ペテロの信仰の偉大さを感じました。しかしその後で、彼が十字架にかけられて殉教の死を遂げたことを思い起こしました。彼は十字架にくぎ付けにされそうになった時、自分は主と同じような仕方で死ぬ価値はないと、十字架に逆さにつけて欲しいと頼んだという話は伝え聞くところであります。

これまでのペテロの人生は、その時の都合でyesとnoとを繰り返すようなものでありました。しかし、ペテロは甦りの主イエスに出会って、信仰に目が開かれ、人生が新しくされ、新しい務めに目覚めたのであります。

復活の主イエスに出会うということは、自分が新しい人に創りかえられるという出来事であり、生涯変わらない真実に出会うということであります。私も振り返れば67年間、主イエスに捉えられて、この思いで牧師の務めを一筋に果たしてきました。

さて、この「わたしを愛しているか」という主イエスの御言葉は、私たち一人ひとりへもなげかけられていることを感じます。私たちは主イエスのこの問いかけにどのように応えていけるのでしょうか。 ペテロのように生涯を伝道に献げる道のみならず、私たち一人ひとりにも新しい道が与えられています。

私たちは主イエスに招かれた者として、喜んで応答していく者でありたい。 ペテロもそうであったように、私たちも復活の主イエスの愛に新しくされて歩む信仰の日々を送りたいと思います。

(2020年5月3日、日本キリスト教団昭島教会「各自自宅礼拝」)