2012年4月21日土曜日

「Facebook依存症」を云々するのはまだ早いと思う

「Facebook依存症」のことがメディアで話題になり始めているようですね。

ぼく自身は、その話題を持ち出すのはまだ早すぎるし、「あの人はFacebook依存症よ。やーね」みたいに牽制ないし軽蔑しあう段階に至るまでに、いろいろ考えるべき点が残っているのではないかと考えています。

まあ、ぼくも相当ヘビーに使っているほうだという自覚がありますので、自己弁護的な意図も、あると言えばあるのですけどね。

ぼくの場合、子どもの頃から、手書きの手紙というのがひどく億劫でした。日記もダメ、三日坊主。手書きの手紙は、年3通も書けばヘトヘトでした。

そんなぼくにとって、インターネットのやりとり(ぼくの最初は「パソコン通信」)というのは、天地がひっくり返るような変化だったわけです。今では少なくとも年1000通は、電子メールを書いています。

そして、その後、パソコン通信→電子メール→メーリングリスト→ブログ→フェイスブックという流れで、「年3通も書けばヘトヘトだった」手書きの手紙の代わりのやりとりをしてきました。

ぼくの場合、過去に書いたメールのすべては、GoogleのG-Mailにアーカイブしていますが、12500通ほどあります。こんなのは別に珍しい話ではないと思います。こういうふうに変化してきたのです、ぼくらのコミュニケーションの方法が。

ぼくが年1000通くらいのメールを書き始めた頃は「メール依存症」という叩き用語が人口に膾炙されたものでしたが、いまそんなこと言ったら、誰の仕事が成り立つのでしょうか。

ブログが流行れば「ブログ依存症」、フェイスブックが流行れば「フェイスブック依存症」。名付けるのは簡単ですが、やっすい話ですね。安易すぎます。

みんな手探りで、この道具を使うとどんなことができるのか、ポテンシャルを調べている段階ですよね。いわばみんなが「FB学校の新入生」。

ワケが分からないものだから放置、という人もいるし、いてもいいと思う。

ですが、ワケが分からないものだから本腰入れて手なずけてみようと時間をかけて集中、という人もいるし、いてもいいと思う。

あんまり軽蔑しあわないで、やりたいこと、やってみましょうよ。模範解答とか、理想像とか、まだどこにもないですよ、たぶんね。