2002年12月29日日曜日

あなたの涙がぬぐわれる日

ヨハネの黙示録21・1~4

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」(1節)。

この御言の中で聖書的・キリスト教的・改革派的に最も重要な意味を持っているのは「新しい地」という表現です。ヨハネが見た新しい世界には、「天」だけではなく「地」もあったのです!ここで「天国」という言葉を持ち出すなら、天国には地面があると、ヨハネは書いているのです。

私たちが「天国の人」と聞いて思い浮かべる内容はしばしば、地上から離れた場所、空中に浮き上がった場所に住んでいる人ではないでしょうか。ヨハネが見たものは、明らかに違います。たしかに、「最初の地は去って行った」と書かれていますが、「地」は去りっぱなしではありません。「新しい地」がもう一度、私たちのために取り戻されるのです。私たちキリスト者の希望は、現在においてだけではなく、将来においても、また永遠においても、地上に生き続けること、地に足をつけて生きることにあるのです。

神の国を意味する「新しいエルサレム」は、「神の許を離れ、天から降ってくる」とあります。そのとおり、まさに神の国は天におられる神の側に実現するのではなく、地上に生きる人間の側に実現するのです。

「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり」とあります。この出来事が起こるのは、新しい地に打ち立てられる「新しいエルサレム」、つまり「神の国」においてです。神にお会いするために、宇宙ロケットは必要ありません。私たちが「上」に昇っていくのではなく、神が「下」に降りてきてくださるのです。

そして、そのとき神が「彼らの目の涙をことごとく拭いとってくださる」。いつ、どこで流した涙でしょうか?もちろんこの人生の中で私たちが幾度となく流し続けてきた涙です!厄介な問題、苦労、挫折。心も体もボロボロに傷つく中で、これまでに流してきたし、これからも流し続けるであろうこの涙です。

この涙を主なる神御自身がぬぐい去ってくださる日が訪れます。それは、すべての人に「死」と共に自動的に訪れるものではありません。神と共に生きる喜びは、神を信じる者たちの中でこそ実現するでしょう。その喜びは私たちにとっては現在においてすでに、いくらか体験済みのことなのです。

(2002年12月29日、松戸小金原教会)