2001年10月2日火曜日

歴史的改革派信仰に基づく文書活動をさらに活発に

たった三年前、前世紀末(一九九八年七月)に日本キリスト改革派教会東部中会に教師加入させていただいたばかりの新参者に「二一世紀の日本キリスト改革派教会の課題」について書くようお命じになる大会常任書記局の要請には、正直真意を図りかねるものがあります。

しかし、大会の教師試験を受けなかったため大会時報に一度も顔写真が掲載されたことがないわたしには、自己紹介のよき機会になるのではと、いくらか自己中心的な動機をいだきつつ、以下、一つの提案をさせていただきたく思います。

それは、改革派教会の教師方には、できるだけ多くの書物を公表していただき、世に問うべきだ、ということです。いきなり不遜なことを申し上げるのをご寛恕いただけますと幸いです。

わたしは一九六五年一一月日本キリスト教団の信徒の家庭に生まれ、一九九〇年四月に教団の教師となり、一九九七年一月に神戸改革派神学校の聴講生になるまでの三一年余、改革派教会の活動に直接参加する機会はありませんでした。

そのわたしが教団を離脱し、改革派教会の歩みに加えていただくことを決心するに至った発端は、わたしが働きの場をえていた高知県の教会における上司(主任牧師)のご夫人が岡田稔先生のご長女であられ、その方が「父が書いた本です」と言われながらプレゼントしてくださった『改革派教理学教本』を読んだことでした。

素晴らしい本である、と思いました。東京神学大学で学んでいた間は、どの教授から紹介されたこともなく、おそらく今日ではほとんど無視されている書物です。しかし、わたしは、東神大や教団内で教えているどの教師が書いたものよりも、岡田先生の書物に感銘を受けました。

そして願わくは、この書物に表現されているようなすぐれたキリスト教信仰を公に告白している教会のなかで働かせていただきたいと祈り求めるようになりました。

そして、それ以来わたしは、「日本キリスト改革派教会」に関係する文書なら何であれ、キリスト教書店で、教会や神学校の本棚で、さらに極秘ルート(?)を通じて入手し、むさぼり読み、学びました。

神学や教理や宣言や教会規定に関する書物だけではなく、大・中会の議事録さえ入手し、行事や人事などの動向に至るまで関心を持ち、情報収集をしていました。

そしてすべての面において、改革派教会の皆様が語られる言葉、また諸問題への対応や判断は全く正当であり、すぐれていると感銘を受けました。

ですから、当時のわたしにとっては、吉岡先生も矢内先生も榊原先生も安田先生も石丸先生も小野先生も牧田先生も、その他の教師や信徒の方々(名前を挙げることができないのが残念です)も、みんな書物の中の登場人物であったわけで、今日いろいろな面で親しくしていただいていることを、夢の中にいるとさえ感じています。

ごく最近風の便りに聞き、不愉快に感じていることは、教団時代の友人たちの中に「関口は教団内のゴタゴタに絶望して飛び出した」というデマが流れているらしいことです。これは事実に反します。そんなつまらない理由に自分や妻子の生活をかけることなど、できるはずがないではありませんか。

理由はもっと前向きで積極的なものでした。書物を通して知る改革派教会の歩みがあまりにも輝いて見えたこと。今行動しなければ一生後悔するだろうと感じたこと。これ以外の理由はありません。

自分の話が長くなりすぎました。わたしの申し上げたいことは、ごく単純なことです。要するに、書かれた文章がもつ力に信頼をおくことの大切さ、ということです。

少なくともわたしは、改革派の皆様が書かれた文章によって、いわば「第二の回心」を経験し、心奮い立たされ、もう一度やれと言われたらおそらくできないであろうほどの(わたしにとっては)大きな行動をとることができました。

もちろん、この小さな者の行動が皆様にとって何の意味があろうかと自問するなら、言葉を失います。しかし、わたしも家族も、自分のしたことに後悔はありませんし、改革派教会の皆様に心から感謝しております。

そして、これから書くことは、皆様に向かって最も強く申し上げたいことです。

まさに今、日本の中に、信仰の確信も喜びも失ったまま漂っている「キリスト者」が大勢いる、ということを、皆様の視野の中から見失わないでいただきたいのです。端的に申せば、他教派の動向に不断の関心を持っていただき、そして、その人々を「愛して」いただきたいのです。

しかし、そういう人々でも、自分が属する教会を持っている限り、いろんな教会を渡り歩いて見聞を深めてみましょうとか、改革派教会のほうもちょっと覗いてみようかなというようなことは、いくらなんでも、そう簡単にはできないわけです。

けれども、書物は別です。どんな立場の人であろうとも、その意思さえあれば、いつでもどこでも読むことができます。そして、書物は、人を本当に現実に動かしていく力を持っているのです。

内容は、神学でも教理でも説教でも証しでもよいです。真理と喜びに満ちた歴史的改革派信仰に根ざした書物がたくさん現われることを渇望している人々が、皆様の文章をいっしょうけんめい読むでしょう。読者は改革派教会の外側にも大勢いる、ということを覚えていただきたく願っております。

大会の機構改革についての提案の意図に、忙しすぎる牧師に対する警鐘が含まれているならば、「牧師が書物をかく時間」をうみだしていただく方向で検討されることを期待しております。

(2001年、日本キリスト改革派教会大会書記局発行『大会時報』掲載)